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裕古のひとり言&新着情報

天皇とはのすごさ

おはようございます。

 

嵯峨天皇(第五十二代)

弘仁九年に疫病の大流行があった。

「般若心経」を書写し、空海に供養させた。

後深草天皇(第八十九代)

飢饉疾病流行し、「仁王経」を転読して祈りが行われた。

伏見天皇(第九十二代)

疫病流行するにあたって延暦寺において「大般若経」を転読し、

後花園天皇(第百二代)

飢饉、人民餓死。人民を救いたいと願い「心経」を書写した。

この時の政局を担っていた足利義政はというと、大飢饉で人民の苦労に鑑みず

猿楽、酒宴をして、それだけでなく土木工事で庭園を造りその費用を人民から徴発していたという記録がある。

その時でも天皇は山にこもりゼンマイで飢えをしのぎ祈りをしていたところ、さすがの足利もこれを拝したが

すでにまた元のもくあみだったという。

後の後土御門天皇(第百三代)

麻疹が流行し、

又、後柏原天皇(第百四代)

疱瘡が大流行し、「心経」を書き写し万民の安泰を祈った。

疾病の流行、庶民の憂患はすなわち、天の時を得ず、季節を失うによるものとし、深く自ら不徳とし

寝ても覚めても安らかにと祈った。その後も飢饉、諸国の洪水、気候の変動で作物の不作続きとあり

天皇はいたくこれを憂え給い、宮中にて壇を設けて密教の加持祈祷をし終息を祈った。

 

こうして天皇とは国民の中心となり、敬愛の的となった。

 

上記はほんの一部だが

 

今生天皇も国民の心の中に写し出されている敬愛の念は感じ取れる。

 

 

選ばれしものとは

いかにどんな状況であったとしても国民の目線となってお祭りごとをやっていくことに

後から人は必然的についてくるのだろう。

今の時代とはかけ離れていたとしても

心情的には何も変わらない。

 

上は下のものを引き上げる

下は上のものを敬い尊ぶ

 

日本の社会もそのバランスが崩れ

偏っているがためにいつの間にか後進国になっていることさえ気づかない。

 

 

何とか心は取り戻したいが

・・・・・・だろうな・・・・

 

ではまた

取り留めもなかったが・・・・・です。

ではまた。

ありがとうございます。