おはようございます。
今朝の地震は来る来ると思っていたら、本当に来た。
そしたら、3.11を思い出した。
なぜかわからないけれど・・・・
そしたら、「艮の金神」を調べなおしてみた。
そこが今日の目的かなと思って書いてみます。
日本には「神」という字
「神」、この字もかみという。
示す、申すと書いて「神」を連想させるのですが、
これは言葉が神であるという連想を生み出していくそうです。
「申」という字は稲妻を顕す象形文字です。
稲妻はそれによってイネが実るとされているようで、
「稲」は「五十音」(いね)であり、五十音が神だという事だと言っています。
昔から神と鬼は同義語
時代の変化の中で、鬼は恐怖や悪のうっきょ性格のイメージがついてしまいました。
それは仏教や陰陽師、修験道などの影響で追儺(ついな)=おにやらいが節分の行事として豆打ちの民間行事となった。
室町時代という事ですが、この本質はとてつもなくいやらしい動機があったのです。
私達の本質が神であることをめざめさせない事であるようで
刷り込みでもあったのでしょう。
日本の風習に鬼門があります。
鬼門の方位は「艮(丑寅)」である東北です。
これで、なぜ、3.11が起きたのかも少しわかるかも知れないですが・・・・
大本教の出口なお開祖が自動書記でお話をした「お筆先」は
「艮の金神国常立尊」の神懸りであるようです。
国常立尊は日本書紀で始まりの神であり、古代の五十音=天津太祝詞音図(ふとのりとおんず)の世の中を開くカギとなるのです。
「九鬼文書」における「艮の金神」は尊い神であり、
「宇志採羅根真大神」(うしとらのこんしんおほかみ)は、アメノミナカヌシ・タカムスビノカミ・カミムスビノカミ・イザナギ・イザナミの神・天照大御神
月夜見大神・スサノオノミコト」の総称であるとされています。
鬼やらいでは、炒った豆をぶつけます。
炒った豆は芽が出ません。それを鬼「艮の金神国常立尊」にぶつけて「出てくるな!!!」と封印しているのです。
要はいい神様を封印しているから
東北の鬼門には足を踏み入れるなという事で怖いモノがそこにいると言い聞かせているのです。
3.11の時の地震はそのいい神様たちが一気に封印を解き明かしこの世の中を変えていこうとなさったのですが
タイミングではなかったのか・・・・・
次のタイミングを推し量っておられると願っています。
分かりやすく言えば
今の世の中は物欲と金欲の満腹状態
どこまで私腹を肥やしていったらいいのか・・・・・
それもいよいよ変わります。
真の神様がいよいよお出ましとなる
そういう今ですから心して今を楽しみましょう。
振り回されず、
自分軸でいきましょう。
ではまた。
ありがとうございます。